山岳ガイド 水越健太
公益社団法人 日本山岳ガイド協会認定 山岳ガイド ステージⅡ
公益社団法人 日本山岳ガイド協会認定 スキーガイド ステージⅡ
北アルプス山岳ガイド協会 副会長
白馬山案内人組合員
北アルプス北部地区遭対協隊員
公益財団法人 全日本スキー連盟公認 スキー指導員・B級検定員
白馬岩岳スキースクール勤務(経理担当・バックカントリー担当)

父親が登山をやっていたこともあり、小さい頃から山やスキーにはよく連れてってもらった。白馬岳に初めて登ったのが小学4年生の時。中学2年生の時には両親と北岳に登った。
小学生から中学生の頃はサッカーに明け暮れていたが、自転車ツーリングも好きで、その頃住んでいた横浜の自宅から相模湖や丹沢のヤビツ峠越えや三浦半島一周、伊豆半島一周などに行ったりした。
中学3年生の夏休みに新田次郎の「八甲田山死の彷徨」を読んだのがきっかけでなぜか突然山に目覚め、「俺の生きる道は山だ!」と確信し、山と渓谷や岳人などの雑誌や新田次郎の本を読み漁り、そして中学3年生の11月に単独で行った丹沢の表尾根~大倉尾根がデビューとなった。
とりあえず受験勉強して高校に入学し、サッカー部からの誘いを蹴って山岳部に入部し、本格的な登山が始まった。入部して早々に山岳部のOBの先輩に鷹取山に連れていかれ、クライミングもデビュー。
鷹取山にはよく通った。高校の時は授業が終わってから電車で追浜まで行き、住宅地を歩いて鷹取山まで行ってボルダリングに明け暮れた。そこで出会った仲間と谷川岳一ノ倉沢や穂高屏風岩、北岳バットレスなどに行くようになり、アルパインクライミングに没頭していった。仲間の何人かはその後活躍して有名人になったやつもいた。
大学3年の時、たまたま募集していた富山営林署のグリーンパトロールに参加。派遣された先が針ノ木岳~鹿島槍ヶ岳で、その時に北ア北部常駐隊の方と知り合い、地元に案内人組合があるということを知り、「いつか俺も常駐隊をやりたい、ガイドになりたい」と思うようになる。
1995年に横浜から白馬村に移住するタイミングで長野県山岳遭難防止常駐隊に入隊。冷池班3年、唐松班2年勤める。
移住した翌年、長野県登山案内人の試験を受けて大町登山案内人組合に所属し、その後日本山岳ガイド協会の資格も取得。2001年に会社をやめてフリーになり、そこから本格的にガイド業を始める。
2012年には白馬山案内人組合に移籍して現在に至る。
1965年 東京都生まれ
1969年 横浜市金沢区に移住
1981年 横浜市立南高等学校山岳部に入部
1984年 関東学院大学体育会スキー部に入部
1986年 富山営林署グリーンパトロールに参加
1995年 白馬村に移住
長野県山岳遭難防止常駐隊に入隊(1999年まで)
1996年 大町登山案内人組合に入会
白馬・岩岳スキースクール勤務開始(現在に至る)
2001年 水越山案内事務所設立
2003年 日本山岳ガイド協会及び北アルプス山岳ガイド
協会に入会
2012年 白馬山案内人組合に移籍
2021年 北アルプス山岳ガイド協会副会長就任
